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2014-01-06 00:04 | カテゴリ:日記
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大学以降では初めて箱根駅伝を録画じゃなくリアルタイムで見た。
いつもなら不規則な生活で正月明けのボケ方が半端じゃ無いのですが、4時に寝て8時に起きたり、なんか変だった。平均睡眠時間が普段と変わらない正月なんて生まれて初めてかも!?
今年も山梨学院大学を応援していたのですが、10区間220km弱の駅伝で、2区10kmのところでオムワンバ選手が疲労骨折で棄権。日本人選手なら3区の中継所に向かって泣きながら、ふらつきながら、地面を這ってでも向かおうとするところを監督に止められるのですが、倒れこんで危険したのはドライだった。

山梨を応援する機会にもなった96年の中村祐二選手を思い出した。
当時の状況ってどんなものだったのだろうと調べると、

試合前から不安があったが、エースの自負で強行出場。その結果の悲劇に、仲間からは「なぜ補欠を信頼しなかった」と責められた。
中村は、その言葉を重く受け止めた。「駅伝はチーム競技。仲間を信じ、与えられた仕事をする」と臨んだ翌年は、重圧が消え、2区で区間賞を獲得した。
雪辱は果たしたが、中村は「何かを失った」と感じていた。棄権劇までは妥協を許さなかったが、「カドが取れ、競技者に必要なとがった部分もなくした」。実業団に進んだが、極限まで追い込めない自分に気づき、2年で引退した。


中村選手は大学時代に世界選手権代表にまでのぼりつめた人なのですが、凄くリアルな経験談でした。あの時泣き崩れていた姿をまた思い出しました。
その当時も監督だった上田監督が「オムワンバは多くのものを背負いすぎた。チームは家族、帰る家なので彼をしっかり迎えたい。人生はリセットできないけれど、リスタートはできる。記録は残らないが、チームの歴史には残る。」この監督のこういうトコが好きだ。あの中村選手の時からかどうかは知らないのですが、大学時代ではムリな練習をさせないことで、その後オリンピックランナーを複数輩出していることに尊敬の念を抱いています。来年は予選会からで大変ですが、シード権の獲得に向けて期待してます。





そう言えば今年の年賀状では2人、姓が変わっていた。年賀状を2通送って来た変わった人もいた。こういう生存確認が出来るだけでも年賀状って意外と有用だと思った。
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